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遠州の祭り鉄道&日記 | スポンサー広告 | --:-- |
お久しぶりです。
記事を書くほど最近動画を撮ってないので更新もしてなかったのですが・・・・ 今年はすでに松尾神社・山梨&飯田・天王をスルーしてるので相当出遅れた感がありますが、 お盆より朝顔屋台も始動したいと思います。 部活でたまたま横笛の話が出たので、昨日部活に例の笛を持って行きました。 二年には女子が五人今いるのですが、あろうことかそのうち四人が笛吹けました。 (三人は地元でお囃子やってた、一人は遠州大念仏経験者) で、大瀬の栩木出身の人と浜北の油一式出身の人がお囃子をちょっと吹いてくれた 多分どっちも「チャンチャラ」だと思うのだが、同じ七本の笛を使ったのに若干音が違った。 ちなみに大瀬では「2番」と呼ばれているらしく、油一式ではこれ一曲しか吹かないのでそもそも名前が無いらしいです。 イメージとしては大瀬のほうが蒲っぽい感じはしましたが、どっちもメロディは笠井のものとほぼ同じです。 今年も東菅原で参加させていただいています。
とてもいい雰囲気の町です。 一日目・・・凧場にもいく。夏休みにお世話になった、鹿島・二俣のわらび餅屋さんにも挨拶してきまし た。 夜は屋台をちょっと見て回ったあと東菅に合流。東菅原の屋台を屋台小屋に入れるのを 手伝いました。 二日目・・・昼はどこにも行かず。体調不良。 夜は屋台の格納を手伝って練りにのみ参加。 屋台の収納は四輪、二輪合わせて初めての経験。屋台小屋の中に入ったのも二俣での二府連に次いで二回目。特に二日目は屋台の枠?を持てたのでとても興奮。 二日目に屋台小屋に入れる際、前輪が溝にはまってしまった。(といっても、小さな隙間である。) だが屋台は動かなくなってしまった。 全員でせーので押してみるがびくともしない。 屋台小屋は中に向かって勾配になっているので、いったん外に出そうと試みたが、前のほうが段差が大きくやはり駄目。 「よし!本気で押してバックさせよう!」 せーのっ・・・屋台は動かない せーのっ・・・やはりびくともしない。 外枠がギシギシきしむので、屋台そのものの枠に手を添え変えた。 金属の覆いに、「菅原」と刻まれていた。 せーのっ・・・・・・・せーのっ・・・・・ 5、6回めの「せーの」でようやく屋台が動いた。 そのまま一気に押し込む。 「もうちょいもうちょい、ストップ!」 そして屋台はおさまった。 こんなに手に汗握る興奮は、屋台祭りとしては初めてのことだった。 ![]() こんなに長時間ほったらかしだったので、それなりのものを出さなくては。
奥横地地区の旧屋台の映像です。 つまり、1864年建造の日坂古宮町先代屋台。 といっても、出囃子の取り付け、車輪の交換、さらに提灯の点滅、角提灯、照明など、 元を残しているのはハコと朝顔部分の骨格だけですが。 一昨年解体されてしまいました。 地元でも「日坂のもの」というのは知れていたようですが、中古ということもあり、この屋台の歴史まで 興味を持っていた人は少なかったようです。 僕も2歳から12歳で菊川の祭りに出なくなるまで10年間お世話になった屋台なので、 今はもっと屋台を見ておけばよかったと後悔してます。 140年分の思い出の詰まった屋台、晩年の姿です。 だしは地域で手作りのサルボボ。 ずっと放置してて申し訳ありません。
ビデオに撮ったのがパソコンの更新でデジタル化できず動画上げられないままです。 今日学校帰りに「小鍛冶」の笛の音を聞きました。 もうそんな季節ですね。 次回(横須賀か、山東)以降は最初からデジタルで撮るので、何卒よろしくお願いします。 ![]() 掛川方面さん、ありがとうざいます。 しかし、この屋台には大規模な改修と思わしきところはありません。 見たところ手が加えられているのは出囃子がおそらく後付けな点くらいか。 (この画像では見えないです、すいません。) 一本柱というより、前回書いたように純粋な掛川型としかこの屋台からは感じ取れません。 やはり細部を見ても明治くらいに掛川で作られたものかと。 掛川郊外は意外と古くから掛川屋台が普及してましたから(日坂方面除く)。 横須賀に関しては歴史が古すぎて逆に闇に突っ込んでしまいます。 また、袋井がかかわってるとなるとますます難解です。 (昔の袋井は森型、横須賀禰里、朝顔屋台、唐破風四輪屋台、中泉型が混在した状態に 各地の文化が流れ込んでいるといった状況だったからなにがあってもおかしくないので。) 倉真は倉真でも、五区ではないのか・・・!? 横地行ってきました。しかしまだ動画アップできません。
まずは下組屋台について手に入った情報と考察。(写真じき載せます) ・現屋台は約三十年前に倉真のどこかから購入したもの。 ・蒔絵に描かれているのは京都の四聖獣。(青龍、白虎、玄武、鳳凰{朱雀?}) 倉真から購入したという情報は過去にもありましたね。しかし、同じ横地地区の三沢の屋台は 倉真で大正に造られたものですが、それと比べると下組のものは作りも古い掛川型で年季も入っている。 とすると倉真より前に活躍していた可能性が十分ある。 そこで、掛川祭りの41町から蒔絵に四聖獣の描かれた物を探してみると・・・ 神明町がほぼ当てはまった。 一部違うも類似しているものは二瀬川、鳥居町。 また、倉真の記録としては、倉真五区の先代が「昭和三十年代に掛川西町より購入」とある。 現屋台を作ったのが昭和50年頃らしいので、おおよそ三十年前。 とすると、西町の線が濃い。 しかし、西町もその屋台をほかから購入したことになっている。 しかもそれがどこか分からない。 ちなみに現在の西町の欄間は東海道五十三次であるが、前の屋台が中古なら変わってもおかしくないので関係ないと思われる。前後が 下組の屋台がこの屋台な可能性は高いが、やはり元を知りたい。 西町の先代屋台について情報お願いします。 |
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